70年代ブリティッシュ・ロックの超名演!であり、シェンカーの指先から弾き出される熱き火花までが炸裂するかの勢いもある”
ロック・ボトム”のギター・(ソロ)ラインに酔いしれましょうか〜♪
70年代英国ハード・ロック・バンドの名バンド「
UFO」が、広きロック界にあってもより活躍・知名度の増した要因の一つに、その感情移入度の高い名フレーズを奏でまたそれがファンにも人気の高かった、ロック・シーン稀代の名ギタリストの一人
マイケル・シェンカーの存在が大きかったのはすでに明らかでしょう。
そのシェンカーが在籍しての1作目(バンドとしては4th)になる「
PHENOMENON」(
現象)が、この3月12日(入荷は11日)に再発売されました。と、言うことで早速購入し聞きました!
このアルバム、輸入盤(今回の国内盤と同じ仕様)はすでに発売されていまして、最新(2007年)デジタル・リマスターの施しもファンにとってありがたい話ですが、未発表音源だとか、デモ曲だとかのボートラ(ボーナス・トラック)収録の付加価値が、これまでの再発盤企画に比べパワー・アップしているわけですね♪
この(
現象)(
フォース・イット)(
ノー・ヘヴィ・ペッティング)のマイケル・シェンカー加入による初期3作が同時発売になっていました。
この”現象”発表当時の正式なメンバー写真で左からウェイ、パーカー、モグ、そしてシェンカー
この
UFOですが、69年夏頃にまだ10代の若者だった、
フィル・モグ、
ピート・ウェイ、
ミック・ボルトンの幼なじみ3人らによって組まれた”
HOCUS POCUS”と言うバンドに、当時すぐに解雇されたドラマーに代わる新たなるメンバー募集広告を見てやって来た
アンディ・パーカーが加入するところから始まります。
70年3月には、この4人がインディーズ・レーベルと契約するのをきっかけに”UFO”と名乗る様になって行きました。
この初期型UFOは、彼らの地元イギリスよりか海外にあたる(当時)レコードを出していた特にドイツや日本での方に、より人気や評判の高いバンドでもありました。
そのドイツ遠征時のライヴの主戦場にしていたのが、ハンブルグと言う街で、このハンブルグには当時新進気鋭に進出してきていた地元ドイツのロック・バンド”の
スコーピオンズ”がいました。
このUFOのライヴの前座にスコーピオンズ起用と言うのが当時の人気カップリングだったらしく、そのスコーピオンズで兄
ルドルフ・シェンカーとともにギターを弾き、時には兄以上にそのプレーの注目を集めていたのが、弟の
マイケル・シェンカーになります。
マイケルがまだスコーピオンズに在籍しながらもUFOのメンバーらに一目惚れをされライヴでも幾度か助っ人役に同じステージで共演をしていたものの、当のマイケルはUFO加入を渋っていたそうでもあります。
そんな折、バンド初代ギタリストでもあるミック・ボルトンは、日々のノイローゼ気味によりライヴ本番前にも関わらず数度に渡り失踪劇を繰り返し、その後ついにはその姿すらをも現さなくなってしまい脱退。
次のギタリスト、
ラリー・ウォーリスを加入させますが、このラリーも酒グセが悪くそのせいもあって僅か9ヶ月で解雇・・・。
72年11月頃には、まだ無名時代の
バーニー・マースデン(彼のその後は
ホワイトスネイクやソロ活動等でも名を馳せ活躍する。)を加入させ、バンドは新たなレコード契約会社を探しますが、英国では思うように見付からず、程なく(73年6月頃)このバーニーも失踪。。。
その頃のライヴではマイケルを助っ人役に起用しその場をしのぎ、何とかバンドは存続していました。
UFOのメンバーは何とかこのマイケル・シェンカーをスコーピオンズから引き抜こうとするものの、正式なメンバーとしては当のマイケル本人も拒否!しつつもジャム・セッションならば・・・と言うことで何度かUFOメンバーとマイケルとのジャムが行われていたそうですが・・・。
それでも、マイケルのギタリストとしてのハイ・テクニックとセンスを高く評価していたUFOメンバーは、どうしてもバンドへ加入させたいと兄でありスコーピオンズのリーダーでもあるルドルフを説得して、ついに念願のマイケルをメンバーとして正式に迎え入れる事が出来ることとなりました!
この時のマイケル自身は、英語もまだろくに話せられない18歳と言う若さだったそうです。
そして、レコード会社も新たに契約し、プロデューサーには”
テン・イヤーズ・アフター”のメンバーに在籍していた
レオ・ライオンズを迎え、制作され(74年に)発表されたのがこの”
PHENOMENON”(現象)になる訳です。
このアルバム発表の前後?には、バンドのより音楽的視野を広げるために、主にモグの考えでキーボードの弾けるセカンド・ギタリストを加入させたいとの想いから、
ポール・チャップマンの正式な加入が一時ありました。
ライヴ等でこのポールを迎えた編成で演奏も数度行われましたが、継続としてこのポールの加入をマイケルは断固として拒否を貫き通し、結果的に75年の1月にはポールの脱退という形でマイケルの意向を酌み(配慮し)つつ、フィル・モグ、ピート・ウェイ、アンディ・パーカーそしてマイケル・シェンカーの4人で、UFOは最初の黄金期をめざし英国の空から世界へと飛び立って行きました―
この今回のリマスター化CD盤の一番の魅力が(11)から始まるボーナス・トラックでしょう!詳しい解説は日本盤(ロック解説の重鎮の一人?
伊藤政則氏が解説)にありますが、簡単に抜粋させて頂くと・・・
(11)、(12)はモグ、ウェイ、パーカー、そしてギターにはバーニー・マースデンが在籍していた時期にレコーディングされた”デモ曲”。
(11)の同名曲にもなる(15)”
シックスティーン”は、本家!?マイケル・シェンカー在籍時期のこのアルバム”現象”の(スタジオ)レコーディング制作時に録られたものだそうです。アルバム未発表もの。
そのギタリスト違いの”シックスティーン”ですが、ギタリストが違うとこうも違うの?とメリハリ?かなり印象が変わってくる様です。メロディ・ラインに分厚くストレート!?にサラッ〜とした印象のバーニーと、ねちっこく?粘り感の印象もあるマイケル。それぞれギタリスト2人によるフレーズ、ソロ・・・は、面白く個人的にはどちらも好曲でした♪
(13)、(14)は、1973年当時のドイツのみで発売されたシングル曲で、この2曲はオフィシャル盤としてこの様なCDで発表されるのは”初”らしいです。ドイツのレーベル”Repertoire”から編集企画盤が発売されて、そこにこれらの曲があったらしいのですが、権利関係でクリアされているのか?どうか?と解説には述べられていますね。UFOのアルバムにこうして正式な形で収録(ボートラとは言え〜)されたことは喜ばしい事でしょうね☆
最後の(16)”ドクター・ドクター”はご存知!!マイケル在籍時の最初の代表曲とも言えるべきものでしょう。このボートラでは、言わば黄金期以降のマイケルの幾度とあった失踪劇によるバンドの危機的状況を救ってきた感の強い男、ポール・チャップマンがそのマイケルとの初期の頃に共演、しかもツイン・リードで”
ドクター・ドクター”のソロ・フレーズが聴けると言うBBCライヴ音源だそうで、録音自体は1974年6月6日のもの。
ちなみに既発音源で90年代初めに発表された”
BBC RADIO 1 LIVE IN CONCERT UFO”に収録済とのこと。
PHENOMENON(現象)/UFO
(1974年)
1.Too Young to Know
2.Crystal Light
3.Doctor Doctor
4.Space Child
5.Rock Bottom
6.Oh My
7.Time on My Hand
8.Built for Comfort
9.Lipstick Traces
10.Queen of the Deep
≪ボーナス・トラック≫
11.Sixteen (demo produced by Dave Edmunds)
12.Oh My (demo produced by Dave Edmunds)
13.Give Her The Gun
14.Sweet Little Thing
15.Sixteen (unreleased studio track)
16.Doctor Doctor (Radio 1 live version)
フィル・モグ(vo)
マイケル・シェンカー(g)
ピート・ウェイ(b)
アンディ・パーカー(ds)
↑モグ、ウェイ、パーカーらから信頼を受けるものの、メイン・ギタリストのシェンカー(一番右)からは音楽的に?(わがままに)嫌われ?正式加入も出来ずに不遇な扱いを受けつつもありながら、それから数年後には正式?(やっぱり助っ人役?)にUFOのメンバーとして一時期活躍するポール・チャップマン(左から3番目)も同時に写真に載っていた時期もあったそうな・・・(写真はどれも本CDのインナーより)
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